九目結紋
2026年10月04日
あ『アートの旅2026秋号(4)~表紙作り/京都国際芸術協会』
(4)『アートの旅2026秋号(4)~表紙作り/京都国際芸術協会』
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アートの旅2026秋号(4)~表紙作り/京都国際芸術協会画像
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展覧会情報誌アートの旅2026秋号10月1日京都から堂々発刊♪
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本日のブログは、『アートの旅2026秋号(4)~表紙作り/京都国際芸術協会』です。
「アートの旅2026秋号」ブログについては、先日より以下のタイトル
『アートの旅2026秋号(3)~表紙作り/京都国際芸術協会』
『アートの旅2026秋号(2)~表紙/京都国際芸術協会』
『アートの旅2026秋号本日発刊!/京都国際芸術協会』
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あわせてご覧いただければ幸いです。
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トップのタイトル画像は、「アートの旅2026秋号」の中央の4枚の画像セットのビジュアルの抜粋です。
★「京都西山天空の名刹・善峯寺」は見どころ満載!まずは3枚の画像の原本からご覧ください!
▼左上は、「京都西山天空の名刹・善峯寺」の山門を駐車場すぐから見上げたビジュアルワンショットです。
善峯寺の山門は、正徳6年(1716年)に建立された豪壮な三間一戸の楼門形式の建築です。
善峯寺の山門の建築様式は、柱間が3つで中央に出入り口がある三間一戸(さんげんいっこ)の楼門形式です。
参拝客や観光客の入山受付は、この山門に設けられています。
善峯寺の山門の左右に安置されている金剛力士像は、運慶の作で源頼朝の寄進と伝えられています。
善峯寺の山門には、本来は楼上に文殊菩薩と脇侍の二天が安置されていましたが、現在は保存と拝観のために境内の文殊寺宝館に移動・奉安されています。
▼右上は、本坊の玄関の提灯をご覧ください。
正方形(結い目の形)が縦横3つずつ、計9つ綺麗に整列して繋がっているのが確認できます。
この家紋は、「繋ぎ九目結紋(つなぎここのつめゆいもん)」または「繋ぎ九つ目紋」で、単に「九目結紋(ここのつめゆいもん)」や「九目繋紋」といいます。
「繋ぎ九目結紋(つなぎここのつめゆいもん)」は、本庄家の代表的な家紋です。
実は善峯寺は、江戸時代の3代将軍家光(いえみつ)の側室で、5代将軍徳川綱吉(つなよし)の生みの母、桂昌院(けいしょういん)が再建資金を出したお寺です。
応仁の乱で荒廃した善峯寺は、江戸時代に桂昌院の多大な寄進によって本堂(観音堂)や鐘楼などが復興されました。
お寺が彼女への感謝の意(報恩)を込めて、この紋を寺紋(瓦や提灯)として掲げるようになったそうです。
この本坊については、善峯寺における「本坊」を紐解くには、山岳寺院としての隆盛と衰退の歴史が大きく関わっています。
かつては善峯寺は、室町時代の最盛期には、山の広大な敷地に52もの僧坊(本坊を筆頭とする僧侶たちの生活・運営拠点)が立ち並ぶ巨大な伽藍を誇っていました。
しかし、応仁の乱(1467年)の兵火により、これら全ての堂宇や僧坊がほぼ全焼してしまいます。
その後、江戸時代に5代将軍・徳川綱吉の生母である桂昌院の大規模な寄進によって、主要なお堂(観音堂や薬師堂など)と「7つの坊」が復興されました。
明治時代の神仏分離令や時代の変化に伴い、それまで点在していた坊は整理され、現在は1つの本坊(総合的な寺務・住職の空間)に統合され、3万坪におよぶ広大な境内が維持されています。
▼右下は、「京都西山天空の名刹・善峯寺」ツアーの際、駐車場から見える、黄色から橙色そして赤くグラデーションカラーを背景にした文殊寺宝館のビジュアルワンショットです。
善峯寺の「文殊寺宝館(もんじゅじほうかん)」は、西国三十三所第20番札所である善峯寺(京都市西京区)の境内にある宝物館です。
善峯寺が長い歴史の中で守り伝えてきた、国の重要文化財を含む貴重な寺宝、仏像、古文書、美術品などが収蔵・展示されています。
重要文化財に指定されている「本尊十一面千手観音菩薩像(脇仏)」にまつわる史料や、名だたる絵師による障壁画、歴代天皇や徳川家(特に5代将軍・徳川綱吉の生母である桂昌院)ゆかりの寄進品などが展示されることがあります。
文殊寺宝館内では、応仁の乱で荒廃した善峯寺を再興したのが桂昌院の信仰の深さを物語る遺品や、江戸時代に施された華麗な寄進品の数々を間近に見ることができます。
このブログ記事は、ブログが公開される日とタイムラグがあるかも知れませんので、内容や言い回しに不具合を感じる場合は適宜お読み替え頂いてご容赦くださいませ。・・・つづく
■企画・撮影:北洞院エリ子花前カレン
□スタッフ:中瀬君代、西村園子
□監修:心龍、家元エリ子@大阪南本部
□テキスト&画像編集:松本正、花前カレン、Erico_
2026年10月03日
あ『アートの旅2026秋号(3)~表紙作り/京都国際芸術協会』
(3)『アートの旅2026秋号(3)~表紙作り/京都国際芸術協会』
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【アートの旅2026秋号(3)~表紙作り/京都国際芸術協会画像】

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展覧会情報誌アートの旅2026秋号10月1日京都から堂々発刊♪
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前回のブログは『アートの旅2026秋号(2)~表紙/京都国際芸術協会』の続きです。
前々回のブログ『アートの旅2026秋号本日発刊!/京都国際芸術協会』から続いています。
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トップのタイトル画像は、「アートの旅KIAIGIA歴史研究会」が2025年11月に「京都西山天空の名刹・善峯寺」ツアーを組んだときに撮影したビジュアルワンショットです。
★瓦の上に紅葉の枯れ葉!甍の秋化粧(いらかのあきげしょう)零れ紅葉(こぼれもみじ)をご覧あれ(^^♪
「瓦の上に紅葉の枯れ葉」という情景は、日本の秋の深まりや、移ろう時間の美しさを強く感じさせる素晴らしいモチーフだと思って撮影しました。
わたくしはこの被写体にすこし心奪われ、ダークグレーの瓦(甍)の上に、鮮やかさを残した枯れ葉が舞い落ち、屋根がほんのりとおめかしをしたような「甍の秋化粧(いらかのあきげしょう)」って感じがしました。
また、一年が過ぎて、『アートの旅2026秋号』のおもて表紙のメイン画像に持ってきたいと感じたことは、今思うに、枝からこぼれ落ちて予期せぬ瓦の上に留まった紅葉の美しさをロマンチックに表現したいから…。
また、「瓦の上に紅葉の枯れ葉」の情景は、「瓦に積もる秋の記憶」であり、「秋の忘れ物(あきのわすれもの)」なのかも知れません。
この画像は、わたくしが勝手に素敵だと思っています。
因みに、瓦にでんでん太鼓の紋がありますが、でんでん太鼓の面に描かれている模様は、日本伝統の文様である「巴紋(ともえもん)」(主に三つ巴など)です。
これは「丸に左三つ巴(まるにひだりみつどもえ」という名の紋章です。
でんでん太鼓の面に描かれている模様は、日本伝統の文様である「巴紋(ともえもん)」(主に三つ巴など)は、水が渦を巻いている姿や、勾玉(まがたま)を図案化したものとされています。
また、古くから雷鳴や雷神の象徴とされ、雷神が背負う太鼓にも巴紋が描かれることが多いので、わたくしには子供の時からこのでんでん太鼓の紋が記憶にはっきりと残っているのでしょう。
でんでん太鼓に描かれる理由は、調べると、雷様が持っているとされることから、「雷様のご加護で子供が健康に育つように」という魔除けや縁起担ぎの意味が込められているのだそうです。
でも、この「瓦の上に紅葉の枯れ葉」の画像は、善峯寺で「でんでん太鼓」とは関係ないと思います。
再度ネットであれこれ調べてみて、一応納得したのでわたくしなりに纏めてみます。
この「丸に左三つ巴(まるにひだりみつどもえ」という名の紋は、日本の伝統的な家紋(巴紋)の一種で、勾玉のような形をした3つの「巴」が左向き(尾が流れる方向が反時計回り)に渦を描いているデザインです。
単に「三つ巴」と呼ぶ場合も、一般的にはこの左三つ巴を指すことが多く、数ある家紋の中でも「巴紋(ともえもん)」は、非常に高い知名度と普及率を誇ります。
巴紋の起源や由来には諸説あり、以下のようなさまざまな意味や願いが込められています。
■武具の「鞆(とも)」: 弓を射る際に左手首に巻く防具「鞆」に形が似ていることから、武運長久の象徴(武神のシンボル)として武家に深く信仰されました。
■水渦・火災除け: 水の渦巻きに見えることから、民家や寺社の瓦などに火災除け(防火)の呪い(おまじない)として広く用いられました。
■雷神・雷鳴: 雷神が背負う太鼓に描かれているように雷鳴を表しており、古くから神聖な文様とされてきました。
■その他の説: 古代の宝器である「勾玉」の形、ヘビ、胎児の形などが起源とも言われています。
…なるほど。
それでは、この三つ巴紋は、なぜ善峯寺の瓦の紋に使われているのでしょうか?
本来、善峯寺の屋根瓦や提灯に見られる紋は、「繋ぎ九目結紋(つなぎここのつめゆいもん)」または「繋ぎ九つ目紋」で、単に「九目結紋(ここのつめゆいもん)」や「九目繋紋」とも呼ばれます。
「繋ぎ九目結紋(つなぎここのつめゆいもん)」は、正方形(結い目の形)が縦横3つずつ、計9つ綺麗に整列して繋がっているデザインで、本庄家の代表的な家紋として知られています。
実は善峯寺は、江戸時代の3代将軍家光(いえみつ)の側室で、5代将軍徳川綱吉(つなよし)の生みの母、桂昌院が再建資金を出したお寺です。
善峯寺の主要な堂宇(観音堂、護摩堂、薬師堂、経堂など)の瓦には、実弟の本庄宗資(ほんじょうむねすけ)らの立ち会いのもとで造営された背景もあり、徳川家の「三つ葉葵」とともに本庄氏の「繋ぎ九目結紋」があしらわれた鬼瓦や意匠が使われています。
でも『アートの旅2026秋号』のこの瓦の紋画像は、徳川の「三つ葉葵」でもなく本庄氏の「繋ぎ九目結紋」でもなく、「三つ巴紋」です。
なぜでしょうか?
お寺や神社の屋根瓦に巴紋(ともえもん)があるのは、「水の渦巻き」を象る(かたどる)ことで火事から建物を守る(火除け・防火のまじない)という意味が込められているからです。
木造建築が多い日本では、昔から火災が大きな脅威でした。
そのため、水に関係する形を屋根に施すことで、火災を防ぐ祈りを込めたとされています。
三つ巴紋(とくに「左三つ巴紋」)は全国の神社の2~3割が神紋(社の紋章)として採用していて、神社を通じて一般庶民の間にも広く普及していったと言われています。
余談ですが、武神のシンボルとしての意味合いもある三つ巴紋は、戦国武将や大名にも非常に人気がありました。
三つ巴紋で有名な武将でわたくしが聞いたことがある名前は、小早川隆景(こばやかわ
たかかげ/毛利元就の三男で豊臣秀吉の五大老の一人)、長尾景虎(ながおかげとら、上杉謙信/「軍神」や「越後の虎」と称された戦国大名)、九鬼嘉隆(くき
よしたか/信長の天下統一で鉄甲船の九鬼水軍)、山本勘助(やまもと
かんすけ/武田信玄の伝説的天才軍師)、土方歳三(ひじかた
としぞう/新選組副長で戊辰戦争で旧幕府軍として最後まで戦い抜き五稜郭の戦いで戦死)などが挙げられます。
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■企画・撮影:北洞院エリ子花前カレン
□スタッフ:中瀬君代、西村園子
□監修:心龍、家元エリ子@大阪南本部
□テキスト&画像編集:松本正、花前カレン、Erico_















