明治天皇
2026年09月08日
お『おススメぶらり旅(8)明治天皇ご聖徳/花前カレン』
(8)『おススメぶらり旅(8)明治天皇ご聖徳/花前カレン』
https://hanamae.blog.jp/archives/46536171.html
【おススメぶらり旅(8)明治天皇ご聖徳/花前カレン 画像01】

おススメぶらり旅(8)明治天皇ご聖徳/花前カレン画像01
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明治天皇京都伏見桃山陵と昭憲皇太后伏見桃山東陵と明治神宮♪
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ごきげんよろしゅう、
北洞院エリ子花前カレンです♪
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本日のブログは、『おススメぶらり旅(8)明治天皇ご聖徳/花前カレン』です。
「おススメぶらり旅~明治天皇の京都伏見桃山陵」については、先日より以下のブログ
『おススメぶらり旅(7)明治神宮永遠の杜の論拠/花前カレン』
『おススメぶらり旅(6)伏見桃山陵と明治神宮/花前カレン』
『おススメぶらり旅(5)昭憲皇太后伏見桃山東陵/花前カレン』
『おススメぶらり旅(4)パワースポット伏見桃山陵/花前カレン』
『おススメぶらり旅(3)明治天皇伏見桃山陵/花前カレン』
『おススメぶらり旅(2)明治天皇明治神宮/花前カレン』
『おススメぶらり旅(1)京都伏見で眠る明治天皇/花前カレン』
を書いて毎日投稿しています。
画像タイトルは、「おススメぶらり旅~明治天皇京都伏見桃山陵/北洞院エリ子花前カレン@京都国際芸術協会」としています。
ファイルサブタイトルは、「明治天皇京都伏見桃山陵と昭憲皇太后伏見桃山東陵と明治神宮♪(c)
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画像サブタイトルは、「京都伏見桃山陵は明治天皇が埋葬された墓所で東京明治神宮は国民の敬慕と慰霊・祭祀の場の神社♪(c)
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さて、本題に入ります。
★明治神宮の公式ホームページは明治天皇や昭憲皇太后のお話、そして日本の激動の明治の時代を興味深く閲覧できて面白いぞ!
明治天皇は京都の生まれであり、崩御された後は遺言によって京都の「明治天皇
伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)」に埋葬されました。
これに対し、東京にも天皇を偲ぶ場所が欲しいという国民の強い願いから東京に明治神宮が建てられることになり、伏見からもゆかりの深い木々が東京へと送られ、現在の豊かな森の一部となっています。
明治神宮は、例年、全国で最も多くの初詣参拝客が訪れる場所として知られています。
明治神宮のご利益(ごりやく)は、縁結び、家内安全、商売繁盛など、幅広いご利益があるとされています。
明治神宮の公式ホームページを閲覧すると、いろいろなページがあり、わたくしは今回明治天皇と昭憲皇太后の事について知りたいと思うことがあって、とても勉強になりました。
トップの画像は、「明治天皇のご聖徳」というページをスクリーンショットして編集したワンショットビジュアルです。
画像の大きさの都合でページの全部を編集できていないので残念です。
ありがとうございます。
明治神宮の公式ホームページから主なページにリンクを貼っておきました。。
■明治神宮とは
■ご参拝・ご祈願のご案内
■明治神宮へのアクセス
■明治神宮ミュージアム
■年間行事予定
ご覧くださいませ。
また、明治神宮の公式ホームページの主なグローバルナビゲーション(目次)は以下の通りです。
HOME
明治神宮とは
ご参拝・ご祈願のご案内
明治神宮へのアクセス
年間行事予定
杜(もり)・みどころ
関連施設
明治神宮ミュージアム
明治神宮国際神道文化研究所v
武道場至誠館
明治神宮 崇敬会
明治記念館
明治神宮外苑
FOREST TERRACE 明治神宮
最新情報
Q&A
刊行物のご案内v
境内地図
サイトマップ
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JP
以下のリンクをクリックまたはタップすると、明治天皇や皇后の昭憲皇太后の事、そして明治維新などの歴史的な事柄を学べて面白いです。
明治神宮とは
明治天皇の御治世
明治天皇の御聖徳
五箇條の御誓文
教育勅語
昭憲皇太后について
このブログ記事は、ブログが公開される日とタイムラグがあるかも知れませんので、内容や言い回しに不具合を感じる場合は適宜お読み替え頂いてご容赦くださいませ。・・・つづく
■企画・撮影:北洞院エリ子花前カレン
□スタッフ:中瀬君代、西村園子
□監修:心龍、家元エリ子@大阪南本部
□テキスト&画像編集:松本正、花前カレン、Erico_
2026年09月06日
お『おススメぶらり旅(6)伏見桃山陵と明治神宮/花前カレン』
(6)『おススメぶらり旅(6)伏見桃山陵と明治神宮/花前カレン』
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【おススメぶらり旅(6)伏見桃山陵と明治神宮/花前カレン 画像01】

おススメぶらり旅(6)伏見桃山陵と明治神宮/花前カレン画像01
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明治天皇京都伏見桃山陵と昭憲皇太后伏見桃山東陵と明治神宮♪
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さて、本題に入ります。
★明治神宮のご祭神は明治天皇と昭憲皇太后!
明治神宮は、東京都渋谷区にある、明治天皇と皇后の昭憲皇太后をおまつりする神社です。
明治神宮は、1920年(大正9年)に創建されました。
明治神宮のご祭神は、明治天皇と昭憲皇太后です。
所在地は、東京都渋谷区代々木、原宿駅のすぐ近くにありながら、約70万平方メートルの広大な「永遠の杜(もり)」と呼ばれる人工林が広がっています。
創建時に全国から集められた約10万本の木々が植えられ、豊かな自然が息づく癒やしのスポットとなっています。
明治神宮のご本殿は東京ドーム15個分の杜(もり)に包まれています。
あ、杜(もり)とは、読みは「森」と同じですが、「森」は、木が多く木立が自然に生い茂っている一般的な林や森林を指しますが、明治神宮の杜(もり)は、神道的な神聖さや、神社に付随する特別な意味合い(ご神木や鎮守の杜)が込められる場合によく使われます。
★京都伏見と明治天皇明治神宮には非常に深い繋がりが…
実は、明治神宮の森(境内林)には、京都・伏見からの樹木も「献木(けんぼく)」として植えられています。
明治神宮は1920年(大正9年)11月1日に創建されましたが、その広大な森は最初からあったわけではなく、計画的に作られた人工の森です。
この人工の森については、当時の内閣総理大臣であった大隈重信(おおくま
しげのぶ)がこの「永遠の杜(もり)」と呼ばれる人工林設計図に大反対したと聞きます。
大隈重信とは、日本初の政党内閣を組織し、早稲田大学を創設した明治・大正時代の政治家です。
反対の理由は、「明治天皇をお祀りする神聖な神社を、杉林ではなく『雑木の藪(やぶ)』にするとは何事か」と考えたからだそうです。
大隈重信がこだわったポイントと、林学者たちがそれをどう科学的に論破したのか、この話は機会があれば調べて是非書きたいと思っています。
さて、当時、明治天皇と昭憲皇太后を祀るための神聖な杜(もり)を造るため、日本全国、さらには当時の樺太や台湾、朝鮮半島などから約10万本もの樹木が奉献されました。
その全国からの献木の中に、京都の伏見地域から届いた木々も含まれています。
明治天皇京都伏見桃山陵と明治神宮には非常に深い繋がりがあります。
【参考資料】
■明治神宮
https://www.meijijingu.or.jp/
■ご逸話であおぐ | 明治神宮
https://www.meijijingu.or.jp/goitsuwa/?ca=1
■収蔵品 | 明治神宮ミュージアム
https://www.meijijingu.or.jp/museum/collection/
■宝物殿 | 明治神宮ミュージアム
https://www.meijijingu.or.jp/museum/houmotsuden/
■<「大隈重信」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9A%88%E9%87%8D%E4%BF%A1
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■企画・撮影:北洞院エリ子花前カレン
□スタッフ:中瀬君代、西村園子
□監修:心龍、家元エリ子@大阪南本部
□テキスト&画像編集:松本正、花前カレン、Erico_
2026年09月05日
お『おススメぶらり旅(5)昭憲皇太后伏見桃山東陵/花前カレン』
(5)『おススメぶらり旅(5)昭憲皇太后伏見桃山東陵/花前カレン』
https://hanamae.blog.jp/archives/46535061.html
【おススメぶらり旅(5)昭憲皇太后伏見桃山東陵/花前カレン 画像01】

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明治天皇京都伏見桃山陵と昭憲皇太后伏見桃山東陵と明治神宮♪
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『(3)京都伏見桃山明治天皇陵~紅葉YouTube』
『(2)昭憲皇太后の伏見桃山東陵~紅葉』
『(1)京都伏見桃山明治天皇陵~大階段前紅葉』
を書いて投稿してあります。
あわせてご覧くださいませ。
さて、本題に入ります。
★明治天皇に仲良く隣に寄り添う「昭憲皇太后」!
明治天皇が崩御された2年後、皇后であった昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)も崩御されました。
実は明治天皇は、1869年2月9日(明治元年12月28日)に、満17歳で結婚しました。
昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう、1849年5月9日〈嘉永2年4月17日〉-
1914年〈大正3年〉4月9日)は、日本の第122代天皇・明治天皇の皇后。
諱(いみな)は、勝子(まさこ)、のちに美子(はるこ)と改名。
お印は若葉。
旧氏名は一条美子(いちじょう はるこ)。
あ、諱(いみな)とは、人の生前の実名(本名)のことです。
もともと中国や日本では、目上の人や主君、または死者の実名を口にしたり書き表したりすることを忌みはばかる(避ける)風習がありました。
そのため、実名そのものを「諱(忌み名)」と呼ぶようになりました。
みだりに口にしてはならない名前とされ、普段は仮名(あざな)や官位、号などが使われました。
日本の歴史では、天皇や貴族、武士などの実名がこれに当たり、本人以外が呼ぶのは無作法とされました。
例えば今NHKの大河ドラマで人気の豊臣秀吉の諱(実名)は「秀吉(ひでよし)」で、弟の豊臣秀長の諱(実名)は、はじめ「長秀(ながひで)」で、のちに「秀長(ひでなが)」へ改名、また「織田信長」の諱(いみな・実名)は「信長」ということになります。
話を戻します…明治天皇の奥さんは、昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)で、生没年月日は、1849年5月9日〈嘉永2年4月17日〉-
1914年〈大正3年〉4月9日)ですから、満20歳で結婚、明治天皇より3歳年上です。
明治天皇と昭憲皇太后のお二人は生前、日本の国力発揚と近代化や教育、社会事業のために共に力を尽くした同志というか、戦友のような存在でした。
昭憲皇太后は明治維新期の皇后として、社会事業振興の先頭に立ち、華族女学校(現:学習院女子中・高等科)や、お茶の水の東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の設立、日本初の女子留学生の一人で女子英学塾(現:津田塾大学)の創設者津田梅子(つだ
うめこ、1864年12月31日 - 1929年〈昭和4年〉8月16日)にも大きく寄与しました。
慈善事業の発展にも熱心で、東京慈恵医院や博愛社(現在の日本赤十字社)の発展に貢献しました。
例えば、国際赤十字に対して皇后は10万円(現在の貨幣価値に換算すれば3億5000万円ともいわれます。
赤十字国際委員会はこの資金を基にして昭憲皇太后基金を創設しています。
この基金は現在も運用されています。
日本の近代化に際して、欧州の王侯貴族・貴婦人と対峙できるよう近代女子教育を振興し、社会事業の発展、国産の奨励等に尽力し、皇后として史上初めて洋装をし、国民も洋装に親しんでいくようになりました。
明治天皇にとって昭憲皇太后は、良き精神的パートナーであり、近代日本の皇室像をともに作り上げた信頼できる存在でした。
皇后は明治天皇より3歳年上で、聡明で知的な女性でした。
明治天皇と昭憲皇太后両者の間に実子には恵まれませんでしたが(明治時代の後の大正天皇は側室の子)、公私にわたり天皇をしっかりと支えました。
昭憲皇太后は、 国政に関与することはなかったものの、天皇とともに陸軍演習への行啓や憲法発布式への参列を行っています。
その姿は明治天皇からも高く評価され、信頼されていました。
「崩御された後も、ずっと天皇のそばに」という願いから、明治天皇の「伏見桃山陵(ふしみももやまのみささぎ)」のすぐ東側に、寄り添うようにして「伏見桃山東陵(ふしみももやまのひがしのみささぎ)」が築かれました。
今でも仲良く並んで、静かに京都の街を見守られています。
【参考資料】
■<「明治天皇」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87
■<「昭憲皇太后」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E6%86%B2%E7%9A%87%E5%A4%AA%E5%90%8E
■明治天皇の一面 天皇一覧/ホームメイト/刀剣ワールド財団
https://www.touken-world.jp/tips/9177/
■美子(はるこ)皇后の明治 | 歴史探偵 | NHK
https://www.web.nhk/tv/an/rekishi-tantei/pl/series-tep-VR22V15XWL/ep/XZPKV4117R
■ 明治天皇の皇后は3歳上の「姉さん女房」だった
| PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
https://president.jp/articles/-/76541?page=1
■昭憲皇太后 文化遺産オンライン | 文化庁 |
文部科学省
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/461514
■<「津田梅子」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E6%A2%85%E5%AD%90
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2026年09月03日
お『おススメぶらり旅(3)明治天皇伏見桃山陵/花前カレン』
(3)『おススメぶらり旅(3)明治天皇伏見桃山陵/花前カレン』
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前回の紹介ブログ『おススメぶらり旅(2)明治天皇明治神宮/花前カレン』の続きです。
前々回の紹介ブログ『おススメぶらり旅(1)京都伏見で眠る明治天皇/花前カレン』から続いています。
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以下に動画を作って投稿してあります、ご覧くださいませ。
■YouTube『京都伏見桃山明治天皇陵230段階段前の紅葉を見る』
https://youtu.be/2yUOAgK6Xgk
■YouTube『京都伏見桃山明治天皇陵を行く』
https://youtu.be/BiRsb5qDe5s
因みに、京都伏見桃山陵関連ブログは今までに以下
『(3)京都伏見桃山明治天皇陵~紅葉YouTube』
『(2)昭憲皇太后の伏見桃山東陵~紅葉』
『(1)京都伏見桃山明治天皇陵~大階段前紅葉』
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あわせてご覧頂ければ幸いです。
さて、本題に入ります。
★明治天皇と奥様の昭憲皇太后の御陵(おはか)はどこ?
明治天皇の御陵(おはか)は東京ではなく京都の伏見桃山に作られたのは、明治天皇が「生まれ故郷である京都の地で眠りたい」と強い遺言(生前の意志)を残されていたためです。
明治天皇の奥様、昭憲皇太后の御陵(おはか)も明治天皇の御陵(おはか)の東隣にあります。
明治維新によって政治の中心は東京へと移りましたが、天皇ご自身のアイデンティティと京都への深い愛着が、激動の時代を経てこの地への埋葬を実現させました。
京都市伏見区にある桃山御陵(伏見桃山陵)の造営時の旧住所は、京都府紀伊郡堀内村大字堀内字古城山(または当時の伏見町等の周辺、あるいは堀内村の字堀内小字古城山)です。
読みは、「きょうとふ きいぐん ほりうちむら
おおあざ ほりうち あざ こじょうやま」です。
ちなみに、1931年(昭和6年)に紀伊郡堀内村が京都市に編入され、伏見区となりました。
【明治天皇】
■代数: 日本の第122代
■先代: 孝明天皇
■次代: 大正天皇
■天皇在位期間: 1867年~1912年
■生没年月日: 1852年11月3日(嘉永5年9月22日)~1912年(明治45年)7月30日(享年61歳/満59歳没)
■誕生: 1852年11月3日(嘉永5年9月22日)13時頃。日本・山城国愛宕郡京都御所石薬師通(現:京都府京都市上京区京都御苑)中山忠能邸
■諱(いみな): 睦仁(むつひと)
■称号: 祐宮(さちのみや)
■父: 孝明天皇(こうめいてんのう)
■母: 中山慶子(なかやま よしこ)
■皇后: 昭憲皇太后(一条美子)/しょうけんこうたいごう(いちじょう
はるこ)
■崩御: 1912年(明治45年)7月30日午前0時43分(59歳没)。東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)明治宮殿
■大喪儀: 1912年(大正元年)9月13日。於
東京府東京市四谷区(現:東京都新宿区)帝国陸軍青山練兵場
■陵所: 京都伏見桃山陵(京都府京都市伏見区桃山町古城山)
■桃山陵墓監区事務所: 〒612-0831 京都府京都市伏見区桃山町古城山 電話:075-601-1863
【参考資料】
■<「伏見桃山陵」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
■<「明治天皇」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
■<「昭憲皇太后」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
■桃山陵墓地案内図 | 宮内庁
■昭憲皇太后 伏見桃山東陵 | ぐるりん関西
■桃山御陵|【京都市公式】京都観光Navi
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2026年09月02日
お『おススメぶらり旅(2)明治天皇明治神宮/花前カレン』
(2)『おススメぶらり旅(2)明治天皇明治神宮/花前カレン』
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前回の紹介ブログ『おススメぶらり旅(1)京都伏見で眠る明治天皇/花前カレン』の続きです。
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トップの画像は、<収蔵品 | 明治神宮ミュージアム>から引用して編集したワンショットビジュアルです。
すべてを編集できませんでしたが、これらのアイテムは、明治神宮ミュージアムの収蔵品です。
明治神宮内にある明治神宮ミュージアムは、明治神宮の御祭神である明治天皇・昭憲皇太后おゆかりの品々を末永く保存、展示するために建てられた施設です。
鎮座百年祭記念事業の一環として、令和元年10月に開館致しました。
さて、本題に入ります。
★明治天皇はなんと14歳で、今でいう中学生の年に天皇になって日本を統治したって…どうしてそんなことができるの?
昨日は時間がなくて、調査が雑でしたが、今回はもう少し時間を割いて書きます。
明治天皇(めいじてんのう)は、江戸時代末期から明治時代にかけて日本を統治し、日本を近代国家へと導いた第122代天皇(名は睦仁=むつひと)です。
明治天皇の主な仕事や功績を簡単に纏めると以下の通りです。
14歳の若くして即位し、五箇条の御誓文を発出して新しい国づくりの基本方針を定め、明治維新を推進しました。
東京遷都を行い、版籍奉還や廃藩置県を進めて中央集?体制を敷き近代化と改革を行いました。
大日本帝国憲法(明治憲法)を発布し、帝国議会を開設して日本を近代的な立憲君主国にしました。
日清戦争や日露戦争という対外戦争を通じて、国際社会における日本の地位を高め国力の充実を図りました。
明治天皇の生涯と主な出来事をまとめた簡単な教科書的年譜・年表です。
■1852年(嘉永5年): 11月3日、京都で孝明天皇の第二皇子として誕生(幼名:祐宮
さちのみや)。
■1860年(万延元年): 皇太子となり、諱(いみな)を「睦仁(むつひと)」と定める。
■1867年(慶応3年): 1月、父・孝明天皇の崩御に伴い、14歳(数え年16歳)で第122代天皇に即位。
■1867年(慶応3年): 12月、「王政復古の大号令」が発せられる。
■1868年(明治元年・慶応4年): 近代国家の基本方針となる「五箇条の御誓文」を発布。
■1868年(明治元年・慶応4年): 9月、元号を「明治」に改める。東京へ行幸(東京遷都の始まり)。
■1869年(明治2年): 版籍奉還を行う。
■1871年(明治4年): 廃藩置県を実施。
■1889年(明治22年): 近代的な憲法である「大日本帝国憲法」を発布。
■1890年(明治23年): 第1回帝国議会が開設され、「教育勅語」を下賜する。
■1894年(明治27年): 日清戦争が勃発(~1895年)。
■1904年(明治37年): 日露戦争が勃発(~1905年)。
■1912年(明治45年): 7月30日、糖尿病のため崩御(享年61)。
【参考資料】
■<「明治天皇」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
■明治神宮
■明治神宮ミュージアム | 明治神宮
■収蔵品 | 明治神宮ミュージアム
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