2026年07月20日
祇園祭2026(7)~八坂神社/花前カレン
き『祇園祭2026(7)~八坂神社/花前カレン』
(7)『祇園祭2026(7)~八坂神社/花前カレン』
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【祇園祭2026(7)~八坂神社/花前カレン 画像01】

祇園祭2026(7)~八坂神社/花前カレン画像01
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知れば100倍面白い祇園祭と八坂神社の密接な関係と秘密♪
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画像はイメージです。
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ごきげんよろしゅう、
北洞院エリ子花前カレンです♪
このページは<花前のブログ by Hanasaki Karen>改め<京この頃★北洞院エリ子花前カレン>ブログです。
本日のブログは、『祇園祭2026(7)~八坂神社/花前カレン』です。
「祇園祭2026」については、先日より以下のブログ記事
『祇園祭2026(6)~八坂神社/花前カレン』
『祇園祭2026(5)~八坂神社/花前カレン』
『祇園祭2026(4)~山鉾34基/花前カレン』
『祇園祭2026(3)~前祭後祭/花前カレン』
『祇園祭2026(2)~くじ取り式/花前カレン』
『祇園祭2026(1)~郭巨山/花前カレン』
を書いて投稿してあります。
是非ご覧くださいませ。
画像タイトルは、「祇園祭2026~八坂神社/北洞院エリ子花前カレン@京都国際芸術協会」としています。
画像のサブタイトルは、「祇園祭は山鉾を見るだけのお祭り?…疫病や天変地異を鎮めるため御霊信仰の祇園御霊会(ごりょうえ)が祇園祭のルーツ♪(c)
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ファイルサブタイトルは、「知れば100倍面白い祇園祭と八坂神社の密接な関係と秘密♪(c)
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Xツィート(旧Twitter)とfacebook用コメントは、<★「祇園祭」は何のために始まった?八坂神社のお祭りなのに、どうして「祇園祭」って呼ぶの?♪>です。
OGPは、<八坂神社と祇園祭の密接な関係/北洞院エリ子花前カレン@京都国際芸術協会>としています。
「祇園祭」については、色々なタイトルで数多く書いていますが、「祇園祭」というタイトルでは過去以下のブログ
『祇園祭/暦のごはん~暮らしの歳時記(実習編)』
『祇園祭(2)/暦のごはん~暮らしの歳時記(実習編)』
『祇園祭(5)/北洞院エリ子花前カレン』
『祇園祭(4)/北洞院エリ子花前カレン』
『祇園祭(3)/北洞院エリ子花前カレン』
『祇園祭(2)/北洞院エリ子花前カレン』
『祇園祭/北洞院エリ子花前カレン』
『祇園祭2019蟷螂山/花前カレン』
を投稿してあります。
あわせてご覧いただければ幸いです。
トップのタイトル画像は、京都・御霊神社の4枚の編集ワンショットビジュアルです。
※御霊神社(通称:上御霊神社) 〒602-0896
京都市上京区上御霊竪町495番地
ごりょうじんじゃ(かみごりょうじんじゃ) きょうとしかみぎょうく
かみごりょうたてまち
■御霊信仰の背景と歴史
奈良時代から平安時代にかけて、政治的な権力闘争で敗れ、無実の罪を着せられて流罪や配流先で亡くなった貴族や皇族は、強い恨みを抱く「怨霊」になると信じられていました。
当時の人々は、疫病の流行や大火、日照りなどの天変地異を「怨霊の祟り」であると考えたのです。
これら鎮めるための儀礼として「御霊会(ごりょうえ)」と呼ばれる祭祀が行われるようになり、これが後に日本各地の代表的な祭りへと発展していきました。
■代表的な人物と御霊(神)
怨霊として恐れられた人物も、手厚く祀られることで強力な守護神へと変化しました。
□菅原道真(すがわらのみちざね): 無実の罪で大宰府に左遷され失意のうちに亡くなった後、都で落雷などの異変が相次いだため怨霊と恐れられました。現在は「学問の神様(天神様)」として全国の天満宮で祀られています。
□早良親王(さわらしんのう): 桓武天皇の弟。政治的陰謀に巻き込まれて配流途中に絶食死し、その後朝廷で疫病や関係者の死が相次いだため、初代御霊として祀られました。
□崇徳天皇(すとくてんのう): 保元の乱に敗れて讃岐に流され、非業の死を遂げた日本最大級の怨霊の一人です。
■現代の生活との関わり
今日私たちが親しんでいる日本の伝統行事の中にも、この御霊信仰にルーツを持つものが数多くあります。
京都の上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)は、非業の死を遂げた人々の怨霊を神として祀り、鎮めることで災厄を防ごうとする「御霊信仰」の中心地です。平安遷都の際、桓武天皇の勅願により創建され、最強の怨霊と恐れられた崇道天皇(早良親王)ら八柱の神霊が祀られています。
また、大阪市中央区(平野郷など)や全国各地に点在する「御霊神社」は、これら非業の死を遂げた人物や地域の祖霊を神として祀る神社です。
そして、京都の祇園祭は、もともとは平安時代に疫病を鎮めるために行われた「祇園御霊会」が起源です。
このように御霊信仰は、災厄をもたらす「恐ろしい存在」を、人々の願いを叶えてくれる「ありがたい神」へと転換させる、日本人の自然観や死生観の基盤となっている非常に重要な文化です。
8世紀後半の奈良時代頃に萌芽し、9世紀の平安時代初期にかけて本格的に確立された御霊信仰(ごりょうしんこう)について、歴史的な流れと主なポイントをふかぼりして書くと以下の通りです。
■奈良時代の発祥 (8世紀後半)
政争に巻き込まれて非業の死を遂げた井上内親王(光仁天皇の皇后)や早良親王(桓武天皇の弟)らの祟り(疫病や天変地異)を鎮めるため、朝廷が霊を慰霊したことが起源とされています。
■平安時代の公式化 (863年)
記録上、朝廷が主催した最初の本格的な鎮魂の儀式である「御霊会(ごりょうえ)」が、863年(貞観5年)に京都の神泉苑(しんせんえん)で行われました。
■代表的な神格化の例
のちに政治的な陰謀で亡くなった菅原道真が天満宮の神(天神様)として祀られたり、平安時代末期の崇徳天皇などが「日本三大怨霊(菅原道真、平将門、崇徳天皇)」として恐れられつつも鎮められて神社に祀られたりするようになりました。
このように、怨霊をただ恐れるだけでなく神として祀ることで災いを転じて福となすという考え方が、現在も全国にある「御霊神社」や「祇園祭」などの祭礼のルーツとなっています。
※このブログ記事は、ブログが公開される日とタイムラグがあるかも知れませんので、内容や言い回しに不具合を感じる場合は適宜お読み替え頂いて、ご容赦くださいませ。・・・つづく
■企画・撮影:北洞院エリ子花前カレン
□スタッフ:中瀬君代、西村園子
□監修:心龍、家元エリ子@大阪南本部
□テキスト&画像編集:松本正、花前カレン、Erico_















