2026年07月06日
京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(7)/花前カレン
き『京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(7)/花前カレン』
(7)『京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(7)/花前カレン』
https://hanamae.blog.jp/archives/46332197.html
【京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(7)/花前カレン 画像01】

京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(7)/花前カレン画像01
https://livedoor.blogimg.jp/hanamae/imgs/6/d/6de66c1b.jpg
十石舟黄桜カッパカントリー月桂冠松本酒造大手筋商店街♪
(c) KIAIGIA All Rights Reserved.
画像はイメージです。
画像クリックで長辺1280x短辺960pxlsに拡大
ごきげんよろしゅう、
北洞院エリ子花前カレンです♪
このページは<花前のブログ by Hanasaki Karen>改め<京この頃★北洞院エリ子花前カレン>ブログです。
本日のブログは、『京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(7)/花前カレン』です。
「京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集」については先日より以下のブログ
『京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(6)/花前カレン』
『京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(5)/花前カレン』
『京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(4)/花前カレン』
『京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(3)/花前カレン』
『京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(2)/花前カレン』
『京都観光~伏見はんなりぶらり旅写真集(1)/花前カレン』
を書いて投稿しています。
併せてご覧いただければ幸いです。
「京都観光~伏見はんなりぶらり旅」関連、「京都伏見小旅行」については、先日より以下のブログ
『京都伏見小旅行~水と出会い歴史を感じる(3)/花前カレン』
『京都伏見小旅行~水と出会い歴史を感じる(2)/花前カレン』
『京都伏見小旅行~水と出会い歴史を感じる/花前カレン』
を作成して投稿してあります。
併せてご覧いただければ幸いです。
画像タイトルは、「京都旅行~伏見はんなりぶらり旅写真集/北洞院エリ子花前カレン@京都国際芸術協会」としています。
画像のサブタイトルは、「中書島壕川を十石舟でランチは黄桜カッパカントリーそして松本酒造などを巡る京都観光~伏見はんなりぶらり旅♪(c)
KIAIGIA All Rights Reserved.」で統一しています。
ファイルサブタイトルは、「十石舟黄桜カッパカントリー月桂冠松本酒造大手筋商店街♪(c)
KIAIGIA All Rights Reserved.」で統一しています。
Xツィート(旧Twitter)とfacebook用コメントは、<★伏見には明治天皇伏見桃山陵、昭憲皇太后の伏見桃山東陵、桓武天皇柏原陵ほか多数の陵墓があります♪>です。
OGPは、<京都観光~伏見はんなりぶらり旅で明治天皇陵だけでも見ておこう/北洞院エリ子花前カレン@京都国際芸術協会>としています。
トップの画像は、「京都観光~伏見はんなりぶらり旅」の時間があれば行きたいコースの明治天皇伏見桃山陵の4枚画像の編集ワンショットビジュアルです。
京都市伏見区内には、第122代明治天皇の伏見桃山陵、そしてその南側には明治天皇の奥様の昭憲皇太后の伏見桃山東陵もあります。
また、西北側に、平安京を築いた第50代桓武天皇の柏原陵があります。
伏見には複数の天皇陵が存在します。
特に明治天皇陵は豊臣秀吉の伏見城本丸跡にあり、230段の階段と静寂な杉並木が有名です。
【京都観光~伏見はんなりぶらり旅】
(1)明治天皇陵(伏見桃山陵)の正式名称は?
(2)なぜ京都にある?
(3)230段の壁のような階段は?
(4)明治天皇の知られざる人柄とは?
京都の伏見区にある、広大で厳かな「明治天皇のお墓」。
東京で生涯を終え、日本の近代化を推し進めた明治天皇ですが、なぜその御陵(お墓)が京都にあるのか疑問に思ったことはありませんか?
このブログ記事では、明治天皇陵の正式名称や京都に造られた理由、訪れる人を圧倒する「230段の大階段」に隠された秘密、そして御陵の形からも垣間見える明治天皇の質素倹約な人柄・エピソードを分かりやすく解説します!
(1) 京都にある明治天皇陵の正式名称は?
京都の地元では「桃山御陵(ももやまごりょう)」として親しまれているこの場所ですが、宮内庁の指定する公式な正式名称は「伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)」といいます。
「陵(みささぎ)」とは天皇や皇后のお墓のことで、すぐ東側には皇后である昭憲皇太后の「伏見桃山東陵(ふしみのももやまのひがしのみささぎ)」が隣接しています。
(2) なぜ東京ではなく京都にある?
伏見桃山が選ばれた理由明治維新によって都が東京へと移り、明治天皇自身も人生の多くを東京で過ごされました。
それにもかかわらず、なぜ崩御された後に京都の地へ戻ってきたのでしょうか?
理由は主に2つあります。
① 明治天皇ご自身の「遺言(遺命)」最大の理由は、明治天皇の「生まれ故郷である京都の地で眠りたい」という強い生前の意志によるものです。
激動の近代化を東京で指揮し続けた天皇にとって、幼少期を過ごした京都は生涯忘れることのない心の安らぎの地だったのです。
② 明治天皇お気に入りの場所だった明治10年頃、青年時代の明治天皇が陸軍の大演習でこの伏見桃山の地に立ち寄った際、「ここは良い。この森を買っておくがよいぞ」と言い残したエピソードが残っています。
崩御の際、当時の宮内庁がこのエピソードを思い出し、正式に陵墓の地として指定されました。
なお、この地はかつて豊臣秀吉が築いた「伏見城」の本丸跡地でもあり、歴史的にも非常にエネルギーの強い特別な場所です。
続きは次回に書きます。
※このブログ記事は、ブログが公開される日とタイムラグがあるかも知れませんので、内容や言い回しに不具合を感じる場合は適宜お読み替え頂いて、ご容赦くださいませ。・・・つづく
■企画・撮影:北洞院エリ子花前カレン
□スタッフ:中瀬君代、西村園子
□監修:心龍、家元エリ子@大阪南本部
□テキスト&画像編集:松本正、花前カレン、Erico_















