2025年04月25日
霊山護国神社桜満開(8)/花前カレン
り『霊山護国神社桜満開(8)/花前カレン』
(8)『霊山護国神社桜満開(8)/花前カレン』
https://hanamae.blog.jp/archives/44380409.html
【霊山護国神社桜満開(8)/花前カレン画像】
霊山護国神社桜満開(8)/花前カレン画像
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坂本龍馬中岡慎太郎霊山墓地パール博士顕彰碑平和記念公園昭和の杜♪
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画像はイメージです。
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ごきげんよろしゅう、
北洞院エリ子花前カレンです♪
このページは<花前のブログ by Hanasaki Karen>改め<京この頃★北洞院エリ子花前カレン>ブログです。
本日のブログは、『霊山護国神社桜満開(8)/花前カレン』です。
「霊山護国神社桜満開/花前カレン」ブログは、先日よりシリーズで以下のように書いて来ています。
『霊山護国神社桜満開(7)/花前カレン』
『霊山護国神社桜満開(6)/花前カレン』
『霊山護国神社桜満開(5)/花前カレン』
『霊山護国神社桜満開(4)/花前カレン』
『霊山護国神社桜満開(3)/花前カレン』
『霊山護国神社桜満開(2)/花前カレン』
『霊山護国神社桜満開/花前カレン』
併せてご覧くださいませ。
画像タイトルは、「京都東山霊山護国神社桜満開/家元エリ子花前カレン@京都国際芸術協会」としています。
ファイルサブタイトルは、「坂本龍馬中岡慎太郎霊山墓地パール博士顕彰碑平和記念公園昭和の杜♪(c)
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画像サブタイトルは、「坂本龍馬や中岡慎太郎の霊山墓地パール博士顕彰碑平和記念公園昭和の杜73、011柱が祭神♪(c)
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Xツィート(旧Twitter)とfacebook用コメントは、<★京都東山桜満開の維新の道を上って京大和翠紅館を経て霊山歴史館の霊山護国神社に思う♪>です。
トップのタイトル画像は、わたくしの散歩コースで京都東山の桜が見頃の維新の道から撮影した霊山護国神社のビジュアルワンショットです。
「維新の道」については、わたくしは以前に「京この頃~維新の道」というブログを以下
『京この頃~維新の道(14)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(13)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(12)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(11)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(10)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(9)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(8)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(7)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(6)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(5)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(4)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(3)/花前カレン』
『京この頃~維新の道(2)/花前カレン』
『京この頃~維新の道/花前カレン』
を作成して投稿してあります。
併せてご覧いただければ幸いです。
さて、毎年桜の季節はやっています。
「霊山護国神社/京都霊山護國神社」の桜満開♪来年も元気よく咲いて華やかな景色を見せてくれました、ありがとうございます。
先日わたくしの<京この頃>ブログで「翠紅館の桜満開」や「翠紅館の歴史」を紹介しました。
東山観光の一つの楽しみ、歴女にはとても魅力的な明治維新の歴史が集まったここ東山一帯は、幕末の志士達が新しい日本を目指してそれぞれの意志をもって活躍をした場所です。
ねねの道から東に折れて二年坂(二寧坂)に抜ける途中に、大きな鳥居と狛犬あります。
ここが東山三十六峰の中心である霊山への道、真っすぐな上りの坂道で「維新の道」と命名されています。
「維新の道」の石碑はパナソニック(「松下電気器具製作所」「松下電器産業株式会社」)の企業者松下幸之助さんが揮毫(きごう)しました。
その石碑前、「維新の道」を挟んだ向かいには、明治10年創業の料亭「京大和」の建物に「翠紅館跡」の駒札が立っています。
この「翠紅館跡」は幕末の一時代の目撃者でもあります。
「翠紅館京大和桜満開/花前カレン」ブログについては7本シリーズで先日より以下のブログ
『翠紅館京大和桜満開(7)/花前カレン』
『翠紅館京大和桜満開(6)/花前カレン』
『翠紅館京大和桜満開(5)/花前カレン』
『翠紅館京大和桜満開(4)/花前カレン』
『翠紅館京大和桜満開(3)/花前カレン』
『翠紅館京大和桜満開(2)/花前カレン』
『翠紅館京大和桜満開/花前カレン』
を書いて投稿してあります。
併せてご覧いただければ幸いです。
安政の頃には、清水寺成就院の勤王僧月照が西郷隆盛としばしば密会した安政の頃で、尊王攘夷運動が高まっていきます。
文久3年(1863年)には土佐藩の武市半平太(たけちはんぺいた)、長州藩の井上聞多(もんた)、久坂玄瑞(くざかげんずい)、桂小五郎(かつらこごろう)、久留米藩の真木保臣・和泉守(まきやすおみ・いずみのかみ)ら、尊王攘夷派が多数が集まり「翠紅館会議」が催されることになります。
これが後に歴史的な「翠紅館会議」で、幕末の一大エポック「攘夷運動」が頂点に達する流れになります。
しかし、文久3年8月18日に政変が起こり、日本史では「八月十八日の政変」と呼ばれますが、孝明天皇と中川宮が、長州藩と過激廷臣らを京都から追放した政変です。
孝明天皇と中川宮(朝彦親王)が画策し、薩摩・会津両藩が加勢して、尊王攘夷派の中心であった長州藩や長州藩と結託する急進派公卿らを京都から追放した事件で、攘夷派は失脚、代って公武合体派が主導権を握り、幕末の政局は混迷の度を増していったと言います。
文久3年(1863年)は八月十八日の政変や薩英戦争、長州藩による外国艦隊への砲撃など、色々な出来事が起こって世の中が変っていく節目でもあります。
それでも「霊山護国神社/京都霊山護國神社」の桜は何の変化もなく満開を迎えていたことでしょう。
このブログ記事は、ブログが公開される日とタイムラグがあるかも知れませんので、内容や言い回しに不具合を感じる場合は適宜お読み替え頂いてご容赦くださいませ。・・・つづく
北洞院エリ子花前カレンについて
【参照①】『家元エリ子/北洞院エリ子花前カレン』
【参照②】『家元エリ子(2)/北洞院エリ子花前カレン』
【参照③】『家元エリ子(3)/北洞院エリ子花前カレン』
【家元エリ子/北洞院エリ子花前カレン画像】
家元エリ子/北洞院エリ子花前カレン画像
京都東山北洞院流華法道家元エリ子/北洞院エリ子花前カレン♪
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■企画・撮影:北洞院エリ子花前カレン>
□スタッフ:中瀬君代、西村園子
□監修:心龍、家元エリ子@大阪南本部
□テキスト&画像編集:松本正、花前カレン、Erico_