2021年12月21日

身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会

み 『身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会』

(2)『身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会』


【身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会 画像01】
身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会画像01
▼画像クリックで1280x960pxlsに拡大@北洞院エリ子花前カレン
身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会画像01
「旧桜宮公会堂」は「身近な美~美しい建物」の一つだ♪
画像はイメージです。
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 こんばんは、Fiori裕子こと、HirokoFIORI紫翠Shisui(ひろこフィオーリしすい)です♪

 このページは<花前のブログ by Hanasaki Karen>ブログです。

 今回の紹介ブログは、『身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会』てす。

 前回の紹介ブログ『身近な美/Fiori裕子@京都国際芸術協会』の続きてす。

 今回のブログ執筆は、エリ子家元<北洞院エリ子花前カレン公式ブログProfilefacebookTwitterInstagram公式HP1公式HP2)>ではなく、私、Fiori裕子が担当です。

 画像タイトルは「身近な美/Fiori裕子@京都国際芸術協会」で統一しています。

 Twitterとfacebook用コメントは、<★「旧桜宮公会堂」は「身近な美~美しい建物」の一つだ♪>としています。

 毎日営むウイズコロナ生活の中での「癒しの景色」を見つけては画像にして楽しんでいます。

 私、Fiori裕子(フィオリ/フィオーリ裕子)が先日担当したブログは以下

裕子ママチャリ中之島@京都国際芸術院
ギュットぎゅっと源八橋/裕子
中之島公園のバラ@裕子/京都国際芸術院

を投稿してあります。

 ご覧いただければ幸いです。

『身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会』data

■URL=http://hanamae.blog.jp/archives/36506046.html
■画像タイトル=身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会
■タグ=身近な美 Fiori裕子 京都国際芸術協会 旧桜宮公会堂 五代友厚 癒しの景色 紫翠 造幣寮 花前カレン エリ子家元
■Twitterとfacebook用コメント=★「旧桜宮公会堂」は「身近な美~美しい建物」の一つだ♪
■画像 ※横332x249又は縦画像は332x442でページ表示、画像クリックで1280x960又は960x1280に拡大
□身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会画像01
=https://livedoor.blogimg.jp/hanamae/imgs/a/0/a0e7a331.jpg
□身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会画像02
=https://livedoor.blogimg.jp/hanamae/imgs/c/8/c8892f0d.jpg




【身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会 画像02】
身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会画像02
▼画像クリックで1280x960pxlsに拡大@北洞院エリ子花前カレン
身近な美(2)/Fiori裕子@京都国際芸術協会画像02
「旧桜宮公会堂」は「身近な美~美しい建物」の一つだ♪
画像はイメージです。
画像クリックで1280x960pxlsに拡大します。




 さて今日は、「旧桜宮公会堂」。

 「旧桜宮公会堂」は、ワタシ的には「身近な美~美しい建物」の一つだ。

 「旧桜宮公会堂」は、私の生活エリア、大阪市北区天満橋1丁目にある、ローマの「パンテオン神殿」風の美しい建築物。

 「旧桜宮公会堂」は、正面玄関が明治初期クラシックロマンを受け継ぐ 国指定の重要文化財である。

 「旧桜宮公会堂 wiki」とググると、トップにインデクサされているのが<「旧造幣寮鋳造所正面玄関」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>である。

 「旧桜宮公会堂」は、「旧造幣寮鋳造所正面玄関」とか「造幣寮」とも呼ばれる。

 「旧桜宮公会堂」の沿革はWikipediaを参考にして以下に年代順に整理すると、

1871年(明治4年) 造幣寮としてトーマス・ウォートルスの設計で竣工
1927年(昭和2年) 老朽化のため取り壊しとなったが、正面玄関の石材が保存される
1935年(昭和10年) 保存石材を明治天皇記念館(のち、聖徳館に改称)の正面玄関として、創建当時の姿に復元 戦後、桜宮公会堂となる
1950年(昭和25年) 2階部分に大阪市立図書館が移転
1956年(昭和31年) 6月 旧造幣寮鋳造所正面玄関が国の重要文化財に指定される
1961年(昭和36年) 大阪市立図書館を桜宮図書館と名称変更
1980年(昭和55年) 桜宮図書館廃館
1984年(昭和59年) 大阪市教育委員会により、学校教育の振興施設ユースアートギャラリーとして改装。市立学校の児童・生徒の絵画展などに利用される
2007年(平成19年) 3月末をもって、ユースアートギャラリー廃止
2012年(平成24年) 秋 民間活力を利用し、一般公開し結婚式場・レストラン・カフェとなった

 この年表を見ると、「旧桜宮公会堂」は、「造幣寮」「明治天皇記念館」「聖徳館」そして「桜宮公会堂」となっていく。

 この「造幣寮」は文明開化の明治時代に活躍した五代友厚が大きく関わっている。

 興味ある方は、詳しくはこちら<50旧造幣寮鋳造所正面玄関 | 日本の近代遺産50選>からお楽しみください。

 また、「旧桜宮公会堂」を文化庁の<「旧造幣寮 きゅうぞうへいりょう」文化遺産データベース>から調べて引用すると、

<造幣寮は、明治4年2月に創業された。近代的造幣工場の建設は、新国家の形成に欠くことのできない施設として、すでに慶応4年、政府が直営を決定していたものである。当時、たまたま英国が香港に設立した造幣局が閉鎖されたので、明治元年11月、政府は長崎の英国商人ガラバを通じ、英人ウォートルス(T. Waters)を雇入れ、工事の設計監督にあたらせ、工場の建設をはじめ、3年2月には、前同局々長キンドル(T. William Kinder)を長とする7人の外国人を雇入れ、機械の据付けをはじめた。かくて、4年2月落成とともに、創業式をおこない、右大臣三條実美以下の政府要人、各国公使が参列した。また、この年「造幣寮定則」を定め、「新貨幣條令」を公布し、金銀貨の鋳造をはじめ、さらに「造幣寮職制」によって、造幣頭以下職工、外国雇人にいたるまでの陣容を整え、造幣首長(作業部長)にはキンドルが任ぜられた。ついで5年6月、明治天皇が行幸し同寮応接所を行在所とし、これを「泉布観」と命名した。6年には銅貨鋳造工場が完成している。・・・(後略)>

と記載されている。

 いつも通って見るたびに綺麗な~と癒される、身近な美癒しの景色」の「旧桜宮公会堂」。

 上の画像02は、私と娘の愛車、電動アシストママチャリ「ギュット(Gyutto)」をおいて撮影した「旧桜宮公会堂」、綺麗に撮れている。

 「旧桜宮公会堂」の真隣にある「泉布観」も又タイミングを計って改めて紹介したいと思う。・・・つづく

text & photo by HirokoFIORI




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